40代を、コツコツと。

不惑?とんでもない。

エンディングノートで自分を見つめる

エンディングノートをつけてみることにしました。直接のきっかけは、高齢であろうとなかろうと、人間たるものいつ命を失うかわからない。ついては、いざという時、家族が途方に暮れることがないよう、ひとまず「臓器提供の意思の有無」と「自分の葬儀はこんな風にしてね」という2点だけははっきりさせておこうというのが狙いです。

 

ですが、これには「裏目的」も存在します。それは、「自分を見つめて、まとめて、その先を見据える」こと。

エンディングノートには、

・名前、生年月日、住所、学歴、職歴などの基本情報 のほか、

・いまの仕事に就いた動機、実績、信念

・職業以外の活動

・自分が誕生したときから、幼児期、小学校、中学校、高校、大学時代など、

 各ステージでの思い出やエピソード

などを書く欄が、これでもかと続いていて、順番に埋めていくと、自動的に「私ってこんな人」という自分史および自分評ができあがる仕組みになっていることに気づいたわけです。

 

私は結局何がしたいのだろう、40代で何をすべきなのだろう、などと、この1年考えても考えてもうまく道筋が見えなかったことを踏まえ、良い機会なので、このエンディングノートを利用して、しっかり過去を振り返り、自分を整理しようと思ったのでした。

 

ノートはまだ途中ですが、早速きょう、初対面の人とお会いする機会があり、この仕事を何年、そこで何をしてきたかを、ささっとお話することができました。頭ではわかっていることでも、文字にして紙にして、それを目にすると、「ストン」と落ちます。自分というものの形をビジュアル化して提示できるようになるのです。

 

ちなみに、ノートはネット上で無料でダウンロードできるものを使い、これまたネット上で読んだブログのアドバイスに従い、とにかく「ざーっと書いてみる。細かいところは、後から埋めていく。詰めていく」という方針です。もしかしたら80歳くらいまで生きられるかもしれません。まずは大枠を埋め、ちゃっかり自分が何者であるかをつかみ、あわよくば先を見据えちゃったりしながら、ガーッと生きていきたい、という、エンディングノートに向き合うにはアブラが抜けきらないというかむしろギトギトな心構えでのぞんでいるのでした。

 

で、先日、そんな話のついでに、自分の親に、「どんな葬儀がいい?」と聞いてみたところ、「葬儀は最低限でいいから、そこそこの戒名が欲しい」なんて、私にはさっぱり理解できない答えが返ってきました。でも、それもその人の人生。そうして欲しいというのですから、そのほうが良いでしょう。聞いておいて良かった。つまり、やはり私も自分の希望は記しておかなければ!と思ったのでした。